Time to get LOVELY (ガーナ)

織田 雪世

・・・誰が誰だか、ちっともわからん。

 

最初の悩みはそれだった。ガーナの首都アクラではじめた暮らし。誰の顔もみな同じにみえた。おかげで、名前と顔がちっとも一致しない。せめて髪型を目印におぼえようとしたが、これがまたクセモノで。

ためしに、「くるくるカールの短い髪がアコースさん、長い三つ編みを山ほど垂らしてるのがサラさん」と記憶してみよう。ところが、だ。ある日突然アコースは、髪をたかだかとポニーテールに結いあげた姿で現れる。ポニーの先には腰までとどく無数の三つ編みが揺れている。サラはある朝、後頭部を刈りあげたボブ・ヘアで颯爽と「ユキ、おはよう」。…こっちは開いた口がふさがらない。髪型が違えば、顔も違ってみえる。私は混乱し、ふたたび名前をおぼえなおすはめになる。ガーナ人の容貌に慣れるまで、こんなことが何度も繰り返されていく。

しばらくいて、やっとわかってきた。アコースもサラも、しょっちゅう、ヘアサロンへ行く。1人で、そして、誰かと連れだって。サロンへ行くたびに、少しだけ、あるいは劇的に髪型がかわる。ときには、つけ毛(エクステンション)をつけている。つけ毛は韓国製の合成だったりインド人の髪でつくった中国製の人毛だったり。それを編みこんだり、針と糸で縫いつけたり糊で貼りつけたりするから、もとの髪が短かろうが長かろうが、髪型の選択肢には関係ない。ホームステイ先のお母さんのふわふわ頭がすべて「かつら」だと知ったときにはたまげた。これじゃ、髪型で人の顔なんかおぼえられるわけがない。

「…ま、やってみなきゃわからんでしょ」

ある日、私もつけ毛を買ってきた。サロンで若い子たちにとりかこまれ、髪を結ってもらう。街でよく見る、細かい二つ編み。最初のうちはよかった。3時間、4時間。痛い。長い。痛い。終わらない。痛い。4人がかりで延々8時間。しかもその髪型は、私にはじつは気に入らなくて、終わるがいなや別のサロンへ駆け込み、皆でほどいてもらった。ほどくのに1時間半かかった。あまりに痛すぎて、まわりの女の子に、笑いながら「”イタイ”って、どーゆう意味?」と聞かれた。そりゃあんた、痛いってことだよ。

…アフリカ人ってお金がないはずだ、とそのころ私は無邪気に思っていた。実際、そのころ私のまわりにいた女性たちは、お金のない私よりさらにお金がなかった。でも、つけ毛を買う。髪を結う。パーマをかける。爪のお手入れをして、マニキュアもペディキュアもする。お金持ちだけじゃない。マーケットのおばちゃんも、行商でトマトを売ってるおねえちゃんも。

「んなことやってる場合なのかねえ」

私は、ふと思いながら、乾いたやかましい街路を歩く。と、ヘアサロンからにゅうっと手が出て「ブラ、ブラ(おいで、おいで)!」と呼ばれる。中ではやっぱり、女性たちが頭にカーラーをいっぱいくくりつけ、あるいはつけ毛をどんどん編んで、新たな髪型がつくりだされている。痛いので、顔を思いきりしかめている客がいる。痛いめに会っていない客の間では、「そう、お金がないのよ!」と井戸端会議に花が咲く。

「んなことやってる場合なのかねえ」

おねえちゃんたち、おばちゃんたちに呼びとめられ、ヘアサロンでついつい長居し、質問ぜめにあい、あるいは黙って耳をかたむけ、そうこうしながら、心の底でそう思う。貝のように巻き上げられた髪。渦のようにぐるぐる編まれ、あげく針と糸で縫いとめられた髪。ポマードのにおい。パーマ剤のにおい。ぺちゃくちゃおしゃべり。彼女らはサロンに通いつづける。一歩外に出れば、巨大なヘアケア・プロダクツの看板がずらりと並び、こっちを向いてほほえんでいる。ある看板はいう。”Time to get LOVELY”。 さあ、lovelyになろう。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「資本主義にやられちゃったんだぁね」
知ったかぶりをして、そう思ってみる。

ひさしぶりの日本へ帰ってきた。
何はともあれ、ヘアサロンへ行かなくちゃ。いつも通っている、あのサロン。

「ぎゅうぅぅぅぅぅっ」

痛くて、熱くて、涙がでた。
私は電気のヘアアイロン2台で、髪を両側からぐいぐい引っぱられていた。
サロンの大きな鏡の前。あれ、なんで私、こんな痛い熱い思いしながらパーマかけてるんだっけ。
両側からぐいぐい、脳みそを容赦なくゆさぶられながら、考えた。
もう二度とやるもんか。(でも、きっと3ヵ月後また来るんだけど)

…あれ、この感覚、なんか前にも経験したことあるんちゃうん?

痛くても、時間がかかっても、いく。
貧乏学生の私。「ええと、〜円で足ります?」なんて聞かなきゃいけないのに、それでもサロンへ、いく。

なんだ、同じことなのだった。
あのおねえちゃんも、あのおばちゃんも、わたしも。

”Time to get LOVELY”
じっとしてなんか、いられない。

ABOUTこの記事をかいた人

日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。