「ムコバの値段」(タンザニア)

井上 真悠子

ファトゥマ姉は器用だ。ウクヮジュ(タマリンド)のジュースもつくれるし、ウキンドゥ(椰子の葉)でカゴも編める。ペンバ島の村落部出身の彼女は、私が居候していた家の子供たちにとって母方の従姉にあたる。ペンバの村を出てザンジバル島の都市部に嫁入りしたものの、数年とたたず離婚し、かといって田舎に戻るのは気が引けたのか、当時1歳の娘を連れてうちの家に居候することになった。居候の身ゆえか、彼女はとてもよく働いた。家事全般を率先して手伝い、軒先の小さな売店の店番もこなした。そしてウクヮジュのジュースをつくっては軒先の店で売り、暇を見つけては毎日せっせとウキンドゥを編んでいた。ウクヮジュのジュースも、「ムコバ」と呼ばれるウキン

ドゥで編まれたカゴバッグも、ペンバ島の村落生活ではそこそこ一般的な技術だそうだけれど、ザンジバル島内でうまくつくれる人は、実はそれほど多くない。

ムコバは、ウキンドゥと呼ばれる椰子の葉を少しずつ重ね合わせるようにつなげながら、長く長くあんでゆく。染料で染めたウキンドゥを組み合わせながら配色やデザインを考え、編み上げた長い一本のウキンドゥの帯を巻き上げるように袋状につなぐと、ムコバができあがる。ムコバひとつにつき、約5cm幅のウキンドゥの帯を4〜5mほど編まないといけないため、ムコバづくりはとても根気のいる作業だ。時にはおしゃべりをしながら、時にはテレビを見ながら、時には子供に乳をやりながら、ファトゥマ姉はせっせとウキンドゥを編んでいた。

ウキンドゥを編む

きれいな緑と白を組み合わせたデザインの、ひとつ目のムコバがそろそろ出来上がりそうな頃、長男が目を輝かせながら宣言した。「このムコバが出来上がったら、オレ、欲しい!」。常日頃から「カッコ悪い物は死んでも持ちたくない!」と公言している伊達男の長男が欲しがるくらいだから、ザンジバルの若い男の子にとって、ムコバはけっこう「イケてる」部類の持ち物なのだろうか。ファトゥマ姉は「はいはい」と言って、数日後、きれいに編みあがったムコバは長男のものとなり、彼は毎日嬉しそうにファトゥマ姉が編んだムコバを肩にかけてあちこちに出かけていった。そしてファトゥマ姉はまた新しいムコバづくりにとりかかる。今度は赤紫をまじえたデザインだ。

染料でウキンドゥを染める

ムコバは基本的に、家庭内で消費されるものだ。店で売られていることもたまにあるし、最近は観光客からの需要も増えて店頭に並ぶ機会もずいぶんと多くなってきているけれど、やはりムコバは基本的には家庭内で生産され、家庭内で消費されるものというイメージだった。ある日、長男がペンバ島の母方の実家に遊びに行くと言うので、私も一緒に行くことにした。母方の実家は、ファトゥマ姉が生まれ育ち、彼女の父母が今も暮らしている村でもある。親戚の家に挨拶に行くと、やはりその家でも奥さんがウキンドゥでムコバを編んでいた。そして「ちょうどこないだ出来上がったばかりのがあるから、持って行きなさいな。」と、私のお土産にとムコバをひとつくれた。それを見た長男がまた、「いいなー、オレも欲しい。」と言いだした。ムコバというこのカゴは、彼にとってそんなにも魅力的な物なのだろうか。

もらったムコバにペンバ土産を詰め込んで、私たちがザンジバル島に帰る頃、家ではファトゥマ姉が新しいムコバをつくり終えていた。編みあがった二個目のムコバは、赤紫と白の組み合わせがとてもきれいだ。さてこれは誰のものになるのかな、家族共用の買い物カゴになるのかしら、なんて思っていると、バタバタと近所のおじさんが駆け込んできた。「このムコバ、いくらで売る!?」。観光客が、ムコバを買おうと探しているらしい。ザワザワとしながら、皆で顔を見合わせる。このムコバの値段は、一体いくらなんだろう?誰もわからない。そうして顔を見合わせていると、居合わせた母方の叔父が「たぶん、5000シリングくらいでいいと思う。こないだ近所の店でそれくらいで取引してるのを見かけたから。」と助言した。

ファトゥマ姉の二個目のムコバは、5000シリングという価格をつけられ、近所のおじさんによって観光客のもとに持っていかれた。結局うまく売れなかったようで、そのムコバはわが家に返ってきて、その後は予想通り家族共用の買い物カゴとして活躍することになった。しかし、観光客に売ろうとした近所のおじさんが駆け込んできたとき、ファトゥマ姉のムコバは、近所の店の相場を根拠とした「5000シリング」という貨幣価値を付与された「売り物」へと変身した。このムコバのように、最初から売ることを意図してつくられたわけでない物が、観光客の出現によって急に売り物に変身することは、ザンジバルのストーンタウンではよくあることである。

ファトゥマ姉たちは、ムコバが買い取られることを拒否しなかった。別にまたつくればいいだけだし、買ってくれる人がいるなら売ればいいんじゃない、と。しかし彼女らは、その後もあえて「売ること」を目的にムコバを編もうとはしなかった。たまたまそこに物があって、買いたい人がいたら売ればいいんじゃない、という彼女らのスタンスは、その後も変わることなく淡々と続けられた。観光地という土地で、自分たちの日常的な生活すらも消耗品になりうるような環境で生きる人々にとっては、「観光」という大きな力に振り回されないためにも、それくらいの淡白さを保つことが必要なのかもしれない。

「買いたい人がいれば、売ればいいんじゃない?でも、私たちの日常は別になにも変わらない。」そしてファトゥマ姉はウキンドゥを手に取り、また新しいムコバを編みはじめた。

ペンバ島でもらったムコバ

 

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。