ナイジャ帰りは身を飾る(ガーナ)

織田 雪世

エフィアが帰ってきた。11時間もバスに揺られ、はるばる国境をこえて帰ってきた。「イェー!」バスから降りた道端で、出迎えたわたしと笑顔満面、がっちり抱きあった。  「エイ!ナイジャ。ナイジャってナイジェリアのことなの、あっちの人はそう呼ぶんだよ。ガーナはやっぱりいいよ。お金さえあれば、ガーナって国は完ぺきよ」。両親と弟が待つ家へ送る道中、エフィアのテンションはとんでもなく高かった。なにしろ彼女は、ナイジェリアの大都市ラゴスで約1年の出かせぎを終えて、いま母国へ戻ったところなのだ。  エフィアは33歳の美容師。腕の悪さをサロンの立派さでごまかす美容師もいるなかで、彼女はお金に余裕はないけれど、自分なりに髪やヘアケアのことを学んでは実践する、優秀で良心的な美容師の1人だった。その実力が認められて、知りあいの美容師指導者に引きぬかれ、彼女はラゴスの美容師学校で教えることになった。とてもきれいな学校だった。給料は、彼女がこれまでガーナで稼いでいた額の何倍もあった。

「ナイジャは本当に大変!渋滞はひどいし、人は勝手だし失礼だし。敬語も何もないんだよ。向こうはピジン英語で発音が全然違うんだけどさ、生徒がわたしに言うの、「ねぇ信じられる?あんたの言ってる英語、全っ然わかんないわぁ!」って。生徒が先生にそうやって言うんだよ!」。

親には話してないけれど、彼女の出かせぎ生活は、いいことばかりではなかった。給料は多いが物価も高い。給料は試用期間の6カ月を過ぎたら上げてくれるという話だったのに、全然とりあってもらえない。渋滞がひどく、通勤に片道3時間。朝は6時に家を出て、帰ってくるのは夜9時か10時。学校では美容師技術を教えるかたわら、数人のスタッフと、多いときには75人以上の客の髪を手がけて、休む間もない。おまけに隣国とはいえ、文化だって全然違う。仕事に見合った給料がもらえるならともかく、これではやってられないと彼女は考え、このさいガーナへ戻ることにしたのだった。帰国を1日のばして粘ったけれど、最後の月の給料は結局もらえなかったという。「あとで送ってくれるって」と彼女は言うけれど、相手はつわもの、そううまくいくとも思えない。

「ナイジャって物価が高いんだよ。ちゃんとした昼ごはんを食べようと思ったら、1,000ナイラもするの。1,000ナイラって、ガーナでいえば9ガーナ・セディ以上だよ」。それでも彼女は、節約しては働き、少しばかりの金をためてきた。彼女は出かせぎへ行く前に、自分のサロンを売りはらってしまったという。「だからそのまま帰ったんじゃ、わたしは役立たずなの。何も持たずに帰るわけにはいかないわ。ガーナに戻って、立派な自分のサロンを開いて、「ああ、あの人は外国へ行ってきたんだな」って人が思うようにしたい。外国へ行って帰ってきて、他人のサロンで働くってわけにはいかないの」。帰国の1か月前、電話で語った彼女の悲壮な決意が忘れられない。

「ナイジャの人はパーティばっかりしてるんだよ、パテってあっちの人は呼ぶの。ガーナではパーティするとしても土日でしょ、でもナイジャは違う。月曜パテ、火曜パテ、水曜パテ、木曜パテ、金曜パテ!仕事休んでパテよ。そして着飾っていくわけよ!」。2日後、彼女の家を訪ねたときも、弾丸トークは続いていた。

「ナイジャのおしゃれは人工的だよ。ガーナでは化粧してない人も多いし、するとしても汗とりパウダーを手でつけて、あとは眉とかリップグロスくらいでしょ。でもあっちでは化粧品を山ほど使うの、眉一本書くのに、白色とか紫色まで使うんだから!」。ちょっと見せてあげる、と実演が始まる。ファンデーションと化粧パウダーで4色、眉ペンシルが4本、黒のリキッドアイラインに、アイシャドウは青とオレンジ、ブロンズ、金色。唇をリップペンシルで縁取り、下地用リップグロスに、口紅、仕上げ用リップグロス。化粧を好まなかったはずの彼女の手が、あれよあれよと動き、美しい、けれどもちょっと怖いくらいの厚化粧ができあがった。

「トマト売りのおばさんだってこんな化粧だよ。これでも少ないくらいなの、多い人なんて眉ペンシルだけで62本も持ってるんだから!それにわたしが持ってる色だって、向こうに言わせればおとなしすぎるんだよ。あの人たちは言うの、「エフィア!あんたの持ってる色は赤ん坊用の色だわ、それじゃダメ、ホットな(鮮やかな)色を使わなきゃ!」って」。派手なアイシャドウの目を見開き、エフィアは同じ話を、繰り返し繰り返し、わたしや家族に大声で語りつづける。彼女の心情を考えると、その様子がなんだか痛々しくも思えて、わたしはあいまいな笑顔でひたすら相づちをうった。

1週間後、わたしはエフィアと長電話をしていた。彼女は帰国してからまだ誰も、ガーナの友人と連絡をとっていないという。「いま、この先のことをいろいろ考えてるところだからさ。落ちついてから連絡とろうかと思って」。今後の計画を話しはじめると、彼女はとたんにまた饒舌になった。ガーナの美容師業界はもう行きづまっており、ヘアサロンだけでは立ちゆかなくなっていること。自分はナイジェリア流のスカーフの巻き方や化粧も学んできたから、まずは結婚式やパーティの着付けや化粧で金を稼ごうと思っていること。わずかな間に、彼女の構想はずいぶん具体的になっていた。

彼女は美容師としての夢も、まだ持っているのだという。「サロンで、ヘアケアの専門アドバイスもできるようにしたい。髪をみて、必要な栄養やヘアケアを客に教えてあげたいの。いまは髪用のスキャナがあるんだよ、知ってる?あれを備えつけて髪が見えるようにすれば、客も納得できると思うんだよね」。時間を忘れて、エフィアと私は語り合った。 物価高騰のご時世、いまの彼女に、それらを実現する金があるわけではない。着飾ってパーティにたくさん行くような、お金持ちのコネがそうあるわけでもない。でも彼女の話を聞いていると、なんだかわたしまで、希望がもてるような気がしてきた。転んでも、ただでは起きない。そういう表現が合っているかはわからないが、彼女は、あれだけ苦労してきたナイジェリアでも、おしゃれのエッセンスをしっかりつかみ、仕事に生かそうとしている。

未来は手放しで明るいわけじゃない。でもきっと、道はひらけるような気がする。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。