英雄の歌を伝える古老(コンゴ民主共和国)

高村 伸吾

コンゴ民主共和国はリヴィングストンやスタンレーといった著名な探検家たちの冒険の舞台となった。マラリアやツェツェバエに阻まれ19世紀後半までコンゴは暗黒大陸の深奥部、まさに未踏の土地だった。探検家はこの空白地帯に果敢に挑戦した。ライフルで武装し猛獣たちと格闘しながらジャングルを突き進む。彼らは大密林を旅しながら、ときにその命までも代償にして見聞録を綴った。善きにつけ悪しきにつけ彼らの探険行によってアフリカは“発見”され、西欧世界の大きな関心を集めた。しかし、探検家がアフリカを“発見”するはるか以前にこの赤い大地を切り拓いた英雄たちがいたことはあまり知られていない。

私は、コンゴ民主共和国赤道州ルオー郡で、ボンガンドという民族集団の人類学的調査を行っている。人々がどのようにして生計を営んでいるのかを明らかにするため、彼らの狩猟キャンプを訪れたときのことだ。そこで私は、一人の英雄の物語に接することになった。

ボンガンドは、自分の集落とは別に狩猟をおこなうガンダというキャンプ地を設けており、ときに数週間以上にわたってそこで狩猟や漁撈を行う。ガンダの多くは網の目のように広がるコンゴ河の支流沿いに点在しており、丸木舟に乗りながら絡みつく蔦を山刀で切り払い、たびたび進路を塞ぐ倒木をのりこえて進んでいかなければならない。

ガンダへの道程

その旅の二日目、私たちは、川をさかのぼり股下まで水につかりながら先を急いだ。疲労困憊していたがどうにか日が暮れるころには目的地とするガンダに辿り着くことができた。そこにはヤシの葉でふいた小屋が二棟と焚火を囲む小さな広場があった。周囲の散策もそこそこに、焚火の傍らに濡れた衣服と靴を並べ、ようやく人心地がついた私は、小屋で一時間ほど眠った。そのあいだに仲間たちが用意してくれた鶏のスープとごはんは格別の味で、大鍋一杯の米はあっという間に空っぽになった。食後、七人は車座になって思い思いにタバコを吸い、酒をあけた。

料理にいそしむ

興が乗ったのだろう。突然、「ショー・ボイッター・オッ」そんな掛け声とともに、船の漕ぎ手である四人の仲間が歌をうたいはじめた。一人の歌い手を中心に、三人が手を叩き歌の調子を合わせる。歌い手と聞き手の間に熱気が広がっていくのが分かった。歌い手の声に三人の声が織り重なるポリフォニーは、ボンガンドの祖である英雄「ボイッター」の物語である。ボイッターが生まれてから死ぬまでにどのような苦難に直面し、それを克服していったのかが物語られる。毎夜歌っても数ヶ月はかかるという長大な歌の中には、さまざまな教えがちりばめられており、そこには民族の知恵が凝縮されている。狩猟キャンプに滞在する間、老人たちは子どもたちにそれを歌って聞かせ、子どもたちはこの世界でどのように生きるべきかを学ぶのだそうだ。彼らは、文字ではなく歌によって先祖の記憶を語り継ぐ。森の奥深くで歌われる英雄の歌が人々を一つの集団へとつなぎとめている。

強い感銘をうけた私は、集落で英雄の歌をねだるようになった。集落を歩きボイッターを伝える古老を尋ねる。村でもっとも詳しいというバファナさんにきくのが有望だということがわかった。家を訪問すると彼は僕の依頼を快く了承してくれた。焚火を囲む広場におかれた椅子代わりの丸太に腰をおろし、バファナじいさんは静かに語り始める。日本人がどうしてボイッターの話を聞きたがるのか気になったのだろう。何人かの子どもたちがその光景を遠目から眺めていた。

バファナじいさんはゆっくりと歌い始めた。彼はささやくような小さな声で始祖の系譜について語った。始祖の母親がさまざまな動物たちから結婚を求められる話、ボイッターが産道ではなくナイフで傷つけた太ももから誕生する話。英雄神話には擬人化された動物がたびたび登場しその筋には奇想天外だなと感じることもあったが、バファナじいさんの語りには何故か魅了された。何百回も歌ってきたのだろう。語るにつれ饒舌さを増していき、そこにはまるで日本の落語のような洗練されたリズムが生まれる。はじめ遠巻きに眺めていた子どもたちはじいさんの歌に引き寄せられていき、二つの話が終わる頃には一緒になって歌っていた。

歌を伝える古老

ボイッターの歌は、老人から子どもたちに引き継がれる大切な贈り物の一つなのだろう。狩猟キャンプにて普段なかなか食べることのできない肉や魚に舌鼓を打ち、幾夜にも渡って英雄の歌を歌う。共に食べ、共に歌う。そうした場が積み重ねられることで、先人の知恵が次代へと引き継がれていく。声を重ねることによって生まれる熱気や臨場感のなかで、書物では伝えることのできない世代を超えたつながりが生まれる。こうした人々のつながりは、もしかしたら今日の日本が失ってしまったかけがえのないものなのかもしれない。

しかし、多くの世代を経て引き継がれてきた英雄の歌は、現在消失の危機に瀕している。学校教育の普及に伴い家族が揃って狩猟キャンプに赴く機会は乏しくなり、長大な歌をそらんじる古老もその数を減らしている。大密林の内部には様々な情報や文明の利器が流れ込み、いまや奥地の農村にまでラジオの音が鳴り響くようになった。こうした社会の大きな変動に晒されることで、それまで中心的な娯楽の一つであったボイッターも近い将来、跡形なく消え去ってしまうのかもしれない。長い年月を経て引き継がれてきた英雄の歌にコンゴの未来を指し示す力は残っているのだろうか。「私は私の道を行く。行く手をふさぐ者はない。私は私の道を行く。」民族を鼓舞し導いてきた英雄の言葉が未来の子孫にまで受け継がれていくのだろうか。度重なる紛争によって疲弊しきったこの国の子どもたちにボイッターは今も語りかける。その声が次代に繋がっていくことを強く願っている。

参考
加納隆至, 加納典子(1987)『エーリアの火—アフリカの密林の不思議な民話』どうぶつ社

ABOUTこの記事をかいた人

日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。