女性が望むお産を!―自宅出産とアフリカのお産(エチオピア)

西崎 伸子

私が「自宅で出産した」というと、女性には「最近、流行だね」と軽く返され、男性には「そんなことできるの?」と驚いて聞きかえされる。たしかに2004年には、ともさかりえや石田ひかりなどの芸能人が自宅で出産し、ちょっとした話題となった。それでも、99%の女性が病院で出産しており、自宅出産がマイナーであることに変わりはない。マイナーだからこそ、注目を集めるのだ。

出産にさほど興味がない男性の多くは、自宅では「できない」と思いこみ、できたとしても「大丈夫か?」と心配するのである。しかし驚くことに、日本においてもほんの4、50年前には、90%の出産が自宅でおこなわれていた。わずか数十年の間に、家族や産婆さんの助けをかりておこなわれてきたお産は、医者をはじめとする医療従事者に全面的にゆだねられるようになったのである。

「病院で出産」はアフリカでも増えている。なぜだろうか。「安全なお産」が切実にのぞまれているからだ。私は1999年に、エチオピアのとある場所で、これまでに産んだ子供や、死産あるいは乳幼児を亡くした「数」に関する聞き取り調査をおこなった。子供を産むことの大変さや、病への恐れの気持ちを察することに鈍感だった当時の私は、「数」ばかりを知ろうとして、無礼極まりないものだったと思う。

しかし、そのような私のぶしつけな質問に多くの女性は、固有の名前や状況を説明しながらきちんと答えてくれた。そして私は、あまりにも多くの乳幼児が亡くなっていることを知ったのである。アフリカには乳幼児死亡率(千人あたり)が200人を越える国が多くある。ちなみに日本は3人である。それ以後、親しい女性が「病院で産む」と言うのを聞くと安心し、妊婦さんに病院で産むことをしつこく勧めるようになった。

では、「病院で産む」ことをアフリカの女性はどのように考えているのだろうか。知り合いの女性からは、陣痛が始まったときに「病院へ車で行きたいから乗せてくれ」と頼まれた。病院は、歩いてわずか3分の距離にあるが、「車で病院に入ること」が彼女にとっては重要であった。またある女性は、はじめは病院で産むことを嫌がっていたが、私が「費用を出す」と言うと、病院で出産し、晴れ晴れとした顔で退院してきた。

病院で産むにはお金がかかる。病院で出産することは、「安全なお産」を期待すると同時に、経済的に余裕があることを周りに示すことでもあるのだ。その一方で、病院では必要のない手術や、母乳が十分に出るにもかかわらず、粉ミルクをつかうことを勧められるという。丸山淳子さんによると、ボツワナの病院では、出産のときに妊婦さんが全裸にならなければならず、かなりの抵抗感をもつ人も多いらしい。

私が自宅で出産しようと思った一番の理由は、足を不自然に固定され、白光のライトで煌々と照らされながら出産しなければいけないことがイヤでたまらなかったからだ。自宅出産ならば、心を許すことのできる人々と一緒に、好きな姿勢で、好きな音楽を聞きながら苦しい陣痛を乗り切れる。アフリカでも近代医療の導入によって、出産時の危険性は減っているかもしれない。しかし、安全性とひきかえに、女性が精神的にリラックスできる出産環境は失われつつあるのではないだろうか。

日本でもアフリカでも、「安全なお産」はあたりまえに、さらに妊婦さんの望むようなお産が実現できればいいな、と私は思う。そのためには、可能な限り自宅出産のように妊婦さんがリラックスできるような出産環境が整えられ、さらに万が一に備えて、医療機関の全面的なサポートを得られるしくみがつくれるかどうかが鍵となるだろう。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。