大門碧
ウガンダの首都、カンパラに足繁く通うようになって、人びとが他者を形容するときに肌の色についても言及することがあると気づいた。同じ名前を持つ女性を区別して呼ぶときに、名前のあとにその人の肌の色を続けて、たとえばリリー・ブラックとリリー・ブラウン、と呼び分けたりする。「リリーいる?」と聞きに来た相手に対して「え、それどっち?ブラック?ブラウン?」などと当のリリー本人が返答したりしていた。さて、これは、リリー・ブラウンのお話。
―リリー・ブラウンには、ボーイ・フレンドがたくさん
私が20年前から7年間ほど、調査と称して追いかけていた若者たちはカンパラの夜の盛り場でクチパクのショーをする人たちだった。ステージにあがる若者たちは体型も肌の色も様々だったが、リリー・ブラウンはなかでもとりわけ肌の色が薄かった。ウガンダでは色が薄い方がモテる。当時デジカメを持って、妙な質問を繰り返して盛り場をうろうろしていた私に、リリー・ブラウンはあまり話をしてくれなかった。たまに声をかけてくれるとき、それはボーイ・フレンドとの写真を撮影するように呼び出されるときだった。彼女のボーイ・フレンドはそのたびに違っていたが、私は撮影し続け、リリーからは時々現像を依頼された。ある晩、道端で二人きりになったとき、私が「ボーイ・フレンドたくさんいるね」とからかうと、リリーは「髪の毛のため(=美容院に行くため)、靴のため、交通手段のため、それぞれ男が必要なの」とさらりとこたえた。
―リリー・ブラウンは、生まれ変わった
最後に会ったときから10年ぶりに、リリー・ブラウンと再会した。彼女は、小さな美容院を営みつつ、日曜日には近所の小さな教会のステージで、クチパクではなく、実際に歌ったり、神への祈りを叫んだりしていた。教会は、ウガンダで近年非常に大きい勢力を集めてきている「ボーナゲインBorn Again」と呼ばれるキリスト教のペンテコステ派。カンパラ各地には同じ派の教会が乱立している。教会に行くリリーは、スカートが膝丈であるという点以外は、昔と変わらず美しく着飾っていた。ステージにあがった彼女は、私をステージ上に呼んだ。リリーは、教会に集まった人びとに私のことを説明する。彼女が盛り場で踊っていた時からの知り合いで、いつもカメラでリリーを撮影していた、と。「盛り場に行く」「肌を露出する服を着る」「聖歌ではない音楽を楽しむ」、すべてボーナゲインとしては、忌避されるべきものであるはずだが、彼女は堂々と話した。リリーは最後に言った。「私は変わった。それを今度は彼女が撮影しに来たの。」
―リリー・ブラウンは結婚した
教会のステージに呼ばれた1年後、再度リリーを訪ねた。彼女は同じくボーナゲインである夫と結婚しており、その夫が建てた家で、以前と変わらず美容院を営んでいた。私は10年近く前に博士論文をもとに出版した本をリリーに手渡した。それは日本語で書かれているものの、当時盛り場で撮影した数々の写真が掲載されている。被写体の多くはリリーを含む若者たちだ。彼女は、その本をその場にいたほかの友人たちに掲げながら、「これを使って私が変わったことを示すことができる」と言った。ウガンダのエンタメ業界を盛り上げる若者たちを描いた無駄に分厚い本は、リリーに信仰心がなかった時期があったこと、そしてそこから神に救われ変わることができたことを証明する貴重なものとなったらしい。
―リリー・ブラウンは子どもがほしい
リリーには子どもがいない。結婚したかどうかにかかわらず、30代半ばになるリリーの年代であれば子供が複数いることが当たり前のウガンダの様子を考えると、一人もいないことは目立つ。日曜日、教会で祈り、歌い、疲れ切っている帰り道、リリーは、私と一緒にいたウガンダ人の女性に向かって「子どもを産みたい」と何度も繰り返し言っていた。その女性はリリーより少し年上で、4人目を産んだばかり。リリーのいないときに、「リリーが妊娠できるかどうか、心配ね。だいたい産みたくないと思っているときに妊娠はするもので、逆に産みたいと思ったときには妊娠しないもの」と、つぶやいていた。
―リリー・ブラウンは祈る
また次の日曜日、リリーと再び教会に行ったあと、彼女にせがまれ一緒に郊外の一軒家を訪ねた。リリーの友人が数ヶ月前に交通事故にあったため、今回はそのお見舞いとのこと。リリーはパンや砂糖などの手土産を渡し、たくさん世間話をしたあと、見舞金を封筒に入れて女性の手に握らせ、そして、最後に祈り始めた。まずはその友人の女性の痛む足に、オリーブオイルを垂らしながら、ひたすら体を折り曲げて祈りを捧げた。その後、その家にいた子どもたち、おそらくは友人女性の娘、息子、そして孫たちを集めて、立ったまま手を取り合い円になると、ふたたびリリーはかれらの学校生活の安泰を祈った。その後は、離れで生活をしている、高齢の女性のもとにも訪れ、リリーはその老女の健康と病状の回復を祈り、さらに風邪をひいて寝込んでいる子どもにも、さっとオリーブオイルを撒いて、祈りの言葉を口にした。
―リリー・ブラウンは変わった
「私、変わったでしょ、これが今の仕事。」祈り終えたリリーは言う。彼女が祈っている間に私がスマホで撮影した写真や動画を見ながら、「そうそうこれを撮ってほしかったのよ」と話すリリー。訪ねた友人宅で昼食をご馳走になったとはいえ、手土産代と見舞金と合わせてそれなりの額をリリーは出費している。ボーイ・フレンドがたくさんいたときのリリーとは、確かに違うようだ。彼女の肌の色は変わらず薄いが、確かに何か変わった。人生を、彼女に言わせれば神の導きで、ひとつ前に進めていた。一方、社会はそう簡単に変わらない。リリーが子なしでいることは、結婚して子をなすことを当然視し、それを推奨するボーナゲイン、そしてウガンダ社会ではそう甘くはないだろう。
リリー・ブラウン、もしも子どもがほしい、生きた証がほしいと思い悩むならば、どうか私を使ってほしい。かつての盛り場のステージ裏の楽屋で薄い色の肌に施される丁寧な化粧、ステージ上での力を抜いたけだるいダンス、音楽を感じてはじけるその笑顔、ラジオ放送を聴いて見つけ出してくると言う英語曲に合わせて腰を振る姿。私は今でも盛り場での彼女の様子を思い出せる。リリー・ブラウン、変わらず堂々とステージにあがり続けるあなたを、私はずっとずっと推し続ける。
※プライバシーにかかわるため、掲載写真は加工しています。また、使用している名前も仮名です。本エッセイで取り上げた著書にも「リリー」(仮名)が登場しますが、本エッセイで出てくる女性と同一人物ではありません。








