ゾウプロジェクトからふりかえるアフリックの20年(会報第21号[2024年度]巻頭言①)

岩井雪乃

「ゾウだー! ゾウだー!」
6 月はトウモロコシの収穫期。つまり、ゾウがもっとも村にやってくる時期だ。毎晩のようにゾウが畑を襲ってくる。今、トウモロコシが一番おいしくなっていることを、ゾウもよくわかっている。ゾウ追い払い隊のメンバーは、1 年で一番忙しい時期で、毎晩毎晩、寝ないで村の中を走り回っている。

夜の追い払い。ブブゼラもゾウを脅かすのに効果がある

アフリックを設立した 20 年前は、こんなにゾウの被害が大きくなるとは、これっぽっちも想像していなかった。アフリック 20 周年を記念する本エッセイでは、設立当時から続けている「アフリカゾウと生きるプロジェクト」(以下、ゾウプロ)の20年をふりかえりたい。

⚫20年の試行錯誤
プロジェクトを始めた 2004 年ごろは、今よりもずっとゾウの被害は小さかった。ゾウがくる村は、タンザニアのセレンゲティ県ではロバンダ村の 1 村だけで、それも、年に数回、片手で足りるゾウ襲撃回数だった。私は、「がんばって追い払えばゾウは来なくなるだろう」と考えて、パトロールカーを寄贈した(早稲田大学・三菱自動車協賛)。しかし、車による追い払いの効果も虚しく、ゾウ襲撃回数と頭数は増える一方で、7年ほど経つと毎日のようにゾウが村に来るようになってしまった。さらに、被害に遭う村の数も拡大を続け、ゾウが生息する動物保護区(国立公園と猟獣保護区)に接する村は、どこでも被害が発生するようになっていた。

パトロールカー1号(2007年)

1 台の車で被害が防げるレベルではなくなってしまったため、車が修理不能な故障になったことをきっかけに、より安価で広域に展開できる対策を模索することにした。そんな時期の2011年に、「養蜂箱フェンス」が有効であるとの研究が発表され、世界中で話題になったのだった(ゾウがハチを嫌う習性を利用して、畑の周りに養蜂箱を設置する対策。King et al. 2011)。そこでさっそく、プロジェクトを手伝ってくれていたアフリック会員の目黒さんと、現地パートナーNGOのダミアンさんに、このフェンスの建設方法を習得しにケニアに行ってもらい、セレンゲティでも試みることにした。このプロジェクトは、会員の丸山さんの発案で「ハッピーハニープロジェクト」と名付けられ、期待をもって始まった(早稲田大学・ブリヂストン協賛)*。しかし、残念ながら2年ほどすると、この方法がうまくいかないことが明らかになった。畑の周りはハチにとって日射が強すぎて環境が悪く、営巣する養蜂箱は 5%ほどだったのだ。 この 2 つの対策プロジェクトを経て私が学んだのは、「村人が主体的に継続できる対策は、私が想像する以上に低コストでなければならない」という現実だった。もともと私は、「外部から新しい技術や大型資金を投入する支援はうまくいかない」と、大規模開発援助への批判的な思考をもっていた。なので、村の生活レベルで持続できるゾウ対策を模索してきた。しかし、そこで負担できるコストは、私が想定したよりもずっと低いことが、実際にやってみてわかったのだ(ちなみに村人は、導入の時点では希望に満ち溢れてやる気満々だった。やがて期待したほど効果がないことに気がついて撤退していった)。

丸山さんの寄付による養蜂箱

マチョ村へのユニフォームの寄贈

とはいえ、車という安全な追い払い手段を試したことや、国際的に推奨されている養蜂箱フェンスを試したことは、意味のあることだったと考えている。試さずに「できない」と断定したのでは、ゾウの危険にさらされている住民からも日本の支援者からも、現在の支援スタイルは納得されなかっただろう。住民とともに挑戦し挫折したことで、私もかれらも経験値を上げることができたといえる。

⚫現在とこれから
こうしてたどり着いた「住民主体で持続できるゾウ対策」は、「追い払い隊」である。この組織は、被害農民たちが、必要に迫られて自主的に始めたグループで、2015年ごろからミセケ村で設立されるようになり、現在では、被害に遭っている 26 村のほとんどで結成されている。現在のゾウプロは、この住民組織を支援するのが一番効果的な対策だと考えている。かれらの追い払い活動に同行し、必要なもの、足りないものを話し合い、ニーズに対応する支援をしている。爆竹器、懐中電灯、ユニフォーム、見張り小屋などを、村ごとにカスタマイズして提供している。

しかし、「追い払い隊」は、根本的な解決ではまったくない。メンバーは、命を危険にさらしながら、他に作物を守る方法がないから、やむを得ずやっているだけである。電気柵が作られてゾウが畑に入らないなら、絶対にそちらのほうがいい。日本の獣害対策では、以下の 3 つの対策を総合的に行うことが必要とされている。すなわち、①個体群管理(捕獲)、②畑の防護(柵、追い払い)、③接近防止のための環境管理(草刈り)である(農林水産省)。しかし、タンザニアの現状では①を行政が行わないため、住民による②③のみの対策となっている。これでは、村を襲ってくるゾウの数は増える一方で、被害が増加し続けてきたこれまでの 20 年と同様に、これからも増えていくことになるだろう。解決の見通しは暗い。

ユニフォームは身分証でもある。追い払い中に密猟者と思われて当局に逮捕される心配がなくなる

それでも、追い払い隊は、毎晩追い払いを続けるしかない。畑の作物をゾウに食べられてしまったら、食糧がなくなって飢えてしまうし、子供を学校に行かせることも、病院にかかることもできなくなってしまう。かれらが追い払いを続ける限りは、私もかれらの支援を続けたいと思う。 そして、アフリックの仲間たちがいつも応援してくれることも、私の心の支えになっている。過去に対策が頓挫してしまったときには、アフリックメンバーは、日本とはかけ離れたアフリカの事情を理解して励ましてくれた。また、メンバーから客観的意見をもらうことで、活動を修正し、より公共性の高い理解されやすい活動にすることができている。そして、昨年は 6 人の会員が現地を訪問してくれて、20 周年記念となるゾウプロ訪問記連載を掲載できた。訪問記から、改めてアフリックメンバーが応援してくれていることを実感している。

アフリック設立準備会議の時に、お腹の中にいた次女は、今年20歳になった*2。彼女は山形の大学に行っているし、長女も今年から就職して家を出た。子育てを終えて、私の人生も新しいステージになるので、ますますゾウプロに力を注いでいきたいと思う。

*1 丸山さんの養蜂箱への思いは、ゾウプロ訪問記⑤「ロバンダ村と私の長い関わり」参照
*2 アフリック設立時の回顧録は、10周年記念の巻頭言で書いたのでそちらをお読みください。