セレンゲティの猟師の涙:失われる罠の技(タンザニア)

岩井 雪乃

彼は、畑の作物を食べにくるアフリカゾウを追い払うチーム(注1)のリーダーだ。彼の身のこなしは、とてもしなやかで、チームメンバーの中で際立っている。刺だらけのアカシアの林をさっそうと駆け抜ける姿、ゾウを探す鋭いまなざし、動物に対する観察力と深い知識。その能力をいかして、ゾウを追い払う命がけの活動で、いつも最前線に立ってゾウに立ち向かっている。メンバーたちから絶大な信頼を集めている。

ゾウ追い払いチーム

セレンゲティ地域では、「動物に詳しい人」は、すなわち「猟師」である。狩猟は動物との知恵くらべだ。獲物を狩るためには、相手を熟知していなければならない。彼は、幼い頃から父に連れられて猟をしてきた。多くの動物と対峙してきた経験があるからこそ、今、ゾウに立ち向かうことができている。

しかし同時に、「猟師」は「密猟者」という意味でもある。残念ながら、政府による一方的な動物保護政策の中で、住民がおこなってきた弓矢や罠による狩猟は、植民地期に違法とされてしまった。セレンゲティ地域では「狩猟は男の仕事」とされており、基本的に男性は全員が猟師だった。それが、政府による厳しい取り締まりと弾圧によって続けられなくなり、ほとんどの男性が仕方なく狩猟をやめていった。彼も4回逮捕されたことがあり、現在は狩猟をやめた。

そんな彼に、ある日、狩猟の技を教えてもらえることになった!これは、わたしの20年前からの念願で、ようやく叶ったのだ。20年前は政府の取り締まりが厳しかったので、猟師たちは逮捕されるのを恐れて口を固く閉ざし、わたしに猟について教えてくれなかった。それが、年月が経ってわたしが人びとに信頼されるようになったことと、彼が狩猟から遠ざかったことが重なって、とうとう教えてもらえることになった。加えてわたしは、昨年から日本で罠猟師を始めたので、セレンゲティの猟師の罠の技をぜひ学びたいと思っていた。そして、「ニャコヘンダ」と呼ばれる跳ね上げ式くくり罠をデモンストレーションしてもらった。その技は、驚くほど、日本のくくり罠と同じ仕組みだった。

集落内の茂みに罠をつくってもらう

罠のしかけ部分。5cmほどの深さの穴を堀り、穴の脇に、木の枝をしならせたバネにつながった小さな枝片と、穴を横断する棒を設置する。棒を動物が踏むとバネが跳ね上がり、サイザル麻のひもの輪っかが動物の足をとらえる。

穴に木の樹皮でふたをし、上に輪っかを仕掛ける

土、落ち葉などでカモフラージュ。罠はどこでしょう?人の目ではわからない。

まずは、すべての部品を自然の材料からつくってしまうところがさすがである。日本の罠だったら、バネ、ネジは金属製、ひもは麻ではなく金属ワイヤー、落とし穴の仕掛けはプラスチック製、どれも購入してつくる。しかしセレンゲティの猟師は、よくしなる(折れない)枝がとれる木はどの種か、サイザル麻をどのように編めば滑り易いひもになるか、腐りにくい樹皮がとれる木はどれか、スムーズに仕掛けが作動する形と大きさの小枝はどれかなど、必要な材料の特徴を備えた樹種がわかっており、それが森の中でどこに生えているかも熟知していて、いとも簡単に現場で材料を調達してしまう。猟師は、動物のみならず、植物や森にも深い知識をもっていることがわかる。

そして、罠の基本原理が日本と共通な点には感動した。「穴に踏み込むと、バネが跳ね上がって輪っかが締まる」、単純で誰でも発想できそうな仕組みである。日本の罠を日本の大学生たちが見た時、「ずいぶん原始的なんですね・・・もっと複雑な技があるのかと思ってました」と拍子抜けしていた。セレンゲティでも仕掛けの基本が同じところを見ると、これが、簡便でもっとも捕獲率のよい仕掛けだからこそ、現代の日本でも使われているのだろう。もしかしたら、数百万年前の人類も同じ仕掛けを使っていたかもしれない。かなりの普遍性をもつ技の可能性がある。

最も感動したのは、カモフラージュの方法も日本の猟師とほぼ同じ点だ。セレンゲティの猟師は、「麻ひもが見えていると動物が感づくから、葉っぱの絞り汁を塗り付けて葉っぱだと思わせるんだ」「穴の上を通るように、穴の脇に枝や石などの障害物を置くんだ」と、最後の仕上げを入念にやっていた。この様子が、日本のわたしの師匠猟師とまったく同じなのである!日本の師匠も「ワイヤーが見えちゃうと警戒されちゃうんだよね。だから、葉っぱで隠して・・・」「枝と石をこういうふうに置いたら、ほら、この穴の上に右足を置くことになるでしょ」という具合なのだ。日本とセレンゲティでは、土壌も植生も動物種もそれなりに違う。それでも、「動物を狩る」という行為がこんなにも共通するものだとは、予想していなかったので驚きだった。そしてその一方で、狩猟という生業が、太古から人類共通の営みであるという事実を、時間と空間を越えて学んだ気もちになった。

そんな感動に心を震わせながら、わたしは、もう一つの長年の疑問をセレンゲティの猟師の彼にきいてみた。「密猟で逮捕された後、刑務所の生活って、どんなものだったの?」 この質問も、狩猟の技と同様に、猟師から避けられていたわたしは知ることのできなかったことだった。ようやく猟師と懇意になれたことがうれしくて、わたしは思いきってこの質問もきいてみた。

すると、その返事はわたしの思いもよらぬものだった。彼は、驚いたようにわたしを見つめ、そして答えようと一生懸命、言葉を探してくれた。しかしなかなか言葉にならず、何と言っていいか逡巡しているうちに、大粒の涙が彼の目からあふれてきた・・・

その涙が、すべてをわたしに教えてくれた。刑務所生活がどんなに過酷なものだったのか。そこでは、人権も尊厳もなかった。裸にされ、常に殴る蹴るの暴力にさらされた。食事は1日1回ひどい味で、ジャリジャリしたものがいつも口に残った。トイレも常に順番待ち、体を伸ばして寝るスペースもなく、いつも丸まっていた。不潔な環境と栄養失調から病気になりやすかったが、治療はなかった。そのまま死んでしまった囚人を何人も見た・・・。断片的な情報はわたしもきいていたが、それらはすべて事実であり、そして、わたしの想像を越えた悲惨な状況だったのだ。彼は、最長で1年半、刑務所にいたという。生きて家族のもとに戻れた時は、本当にうれしかったに違いない。命があることを神に感謝したことだろう。だからこそ、もう狩猟をやめて、熱心なクリスチャンになったのだろう。

しかし、彼の心の傷は、ちっとも癒えていない。彼の涙がそれをもの語っている。おそらく体の傷で残っている後遺症もあるだろう。わたしはきいてはいけない質問をしてしまった。本当に申し訳ないことをした・・・何年も経っていても、まだまだ彼の記憶は鮮明なのだ。狩猟に対する弾圧は、徹底的な暴力だ。身体への物理的な暴力で、逮捕された時に、パトロール隊に殺されてしまった村びとも何人もいる。そして精神的にも、人間としての尊厳をズタズタにする。こうして人びとは、「肉のために命を落とすわけにはいかない」と考えるようになった。暴力によって、セレンゲティの人びとの誇り高い「男の仕事」だった狩猟は違法行為におとしめられ、語られなくなり、そして失われようとしている。

そこで、わたしの怒りはふつふつと沸いてくる。セレンゲティの人びとの資源を、「世界の貴重な財産だから」と勝手に取りあげ利用を禁止する、欧米由来の自然保護政策に対して。国際環境NGOや国際援助組織が資金を提供し、タンザニア政府が一緒になって実施する政策(注2)。その政策は、村の猟師たちの命を奪い、男たちの命を奪いながら、浸透していき、目的を達成しつつある。セレンゲティの猟師とその技は、絶滅するしかないのだろうか。

地域の人びとはどう考えているのだろう? ホームステイ先のママに意見をきいてみた。「猟師だった人が猟をやめた、と聞くと、どう思う?」ママは、ちょっと困ったように言った。「うれしい気もちと残念な気もちと、半々ね。その人がもう捕まる心配がない、とほっとするけど、わたしたちに肉を持ってきてくれる人がいなくなってしまうのは残念だから」真っ向から意義を唱えないものの、心まで服従しているわけではないようだ。この静かな抵抗スタイルが、何かしらの均衡を保っているのかもしれない。

注1) セレンゲティ・人と動物プロジェクトの報告を参照
注2) アフリカの自然保護政策の植民地主義的側面については拙著『ぼくの村がゾウに襲われるわけ。−野生動物と共存するってどんなこと?』を参照

ABOUTこの記事をかいた人

日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。