青空市場が日常という贅沢

藤本 麻里子

青をテーマにエッセイを書くことになり、私が真っ先に思いついたのは、調査地であるザンジバルの海だった。ザンジバルの海は青というより、珊瑚礁のエメラルドグリーンがより印象的だ。そんなザンジバルのエメラルドグリーンの海は、欧米からの観光客にとっては、最も魅力的な観光資源の一つだ。

マリンレジャーで賑わうザンジバルのビーチリゾート

でも、海はいつも青いわけではない。曇天模様の日は灰色に、嵐の日には鉛色に、夜の漁に出れば漆黒の姿をしている。ただ、私たちは海といえば、晴れた日の青くきらめく穏やかな海を思い浮かべる。鉛色や漆黒の海には、多くの人はよほどのことがない限り近づかない。海を生活の場とする漁業者や水産加工業者、流通業者などは、時に鉛色や漆黒の海とも対峙している。一方、単に食べる側としてとして水産物に接する場合、今日の日本社会、特に都市部では、ほとんどの消費者は青い海にすら近づく必要はない。それどころか、生鮮食品を手に取って自分で調理する人すらも、少数派になりつつあるのかもしれない。日本では、消費者が食料品に支払う費用のうち、生鮮食料品に対する出費は20%程度で、残りは加工品の購入や外食の費用となっているとの試算もある。

日本でも、かつては魚屋、肉屋、八百屋など、それぞれの商品を取り扱う小規模な小売店を回って日々の食材を買い集め、旬の野菜や魚を手間暇かけて調理する食生活こそが日常だった。ザンジバルでは、今でもそのような買い物スタイル、生活様式が一般的だ。スーパーマーケットもごく少数できてはいるが、それらは専ら観光客や特別な富裕層向けで、多くの人々は市場で日々の食材を手に入れる。

ザンジバルの中心に位置するザンジバル・シティにおいても、海辺で地の魚を扱う青空市場で、多くの市民が夕飯のおかずの食材を購入する姿が見られる。青い海を背景に、砂浜に置かれた簡易な陳列台に、その日に近海でとれた魚が漁業者や流通業者によって並べられる。消費者からの要望があれば、彼らは下処理や食べやすい大きさへのカット加工などにも応じながら、新鮮な水産物を対面販売している。そこには食品添加物や産地偽装の懸念の入り込む余地はない。青空市場で日々の食材を購入するという生活は、我々が失ってしまった、人の生活の原点のように思えてくる。

地魚を販売する海辺の青空市場

 

客の求めに応じて魚の下処理をする販売人

貿易の自由化が推進されグローバル化が進展する中で、我々の生活様式は大きく変容し、次第に人々は生鮮食品よりも安価で手軽に手に入る加工食品を好んで消費するようになった。そんな消費生活に対するアンチテーゼとして、地産地消や産直市場などの価値が近年、再認識されつつある。各地の漁港で開設される青空市場、道の駅やファーマーズ・マーケット、マルシェといった生産者と消費者を直接結び付ける動きも活発になってきた。しかし、忙しい現代人にとっては、それら産直市場での買い物も余暇のレジャーの一部に取り入れるのがやっとだ。私たちは効率化こそ正義とばかりに、コスパ、タイパ重視の生活と引き換えに、どんな付加価値を日々産出できているのだろうかと、ふと我に返る瞬間がある。そんな時、ザンジバルの青い海をバックに、青空市場で談笑しながら魚を購入する人々の生き方を思い出す。彼らの生き方のほうがよほど贅沢な生き方なのではないかと感じられる。もしザンジバルに観光に行く機会があったら、エメラルドグリーンの海と白い砂浜のビーチリゾートもいいけれど、青空市場にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。