桐越仁美
アフリカで見た橙色といえば、色鮮やかな布や、雨季に実るマンゴーの木の実、名前も知らない小さな花、料理に使われるパームオイルなどたくさんある。どれもそれぞれに印象的で思い出があるが、私が最初に思い浮かべたのは、月並みで申し訳ないが「地平線に沈む夕日」だった。
アフリカ研究をしていると、よく「なぜアフリカに行こうと思ったの?」と聞かれる。以前の私は、この質問にどう答えたらよいものか迷っていた。なにか大きなきっかけがあったとか、理由があったとかではないからだ。子どもの時からアフリカに漠然とした憧れを抱いていたが、それがどうしてなのか自分でもよくわからなかった。テレビや映画、本などを見るたびに「いつか行ってみたい」と思っていた。そして私はなぜか小さな頃から地平線や砂漠に憧れがあった。どこまでも続く雄大な大地に憧れていた。
それがなぜなのかを考えたら、小さな時から見ていた「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」に影響を受けているのではないかと思い至った。私の両親はスター・ウォーズシリーズの大ファンで、私は物心つく前からスター・ウォーズを繰り返し見せられていた。「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」には、砂漠の惑星で主人公が地平線に沈む真っ赤な夕日を見るシーンがある。そのシーンがどうにも印象的で、大好きで、ずっとそういう景色に憧れていたのだとわかった。
大学院進学を決めて、アフリカ研究を志した私が調査に行くことになったのは、西アフリカのニジェールだった。指導教員の調査地のうち、住民の人柄も穏やかなニジェールを勧められたからだ。当時は今ほど治安も悪くなかった。ニジェールは国土の4分の3がサハラ砂漠という非常に乾燥した国だ。自分の意志でニジェールを選択したわけではなかったが、地平線が見られる砂漠の国が私の最初の調査地になった。
大学院に進学した2010年の夏、私は初めてニジェールに渡航した。最初の渡航では、村人にハウサ語を習い、コミュニケーションをとるので必死だった。体験することがすべて新鮮で、それに適応するので精一杯だった。さらに、当初やる予定であったアルビダという樹木の樹液流速の観測はうまくゆかず、研究テーマをどうするか頭を抱える日々だった。せっかく憧れのアフリカに行くことができたのに、余裕などなく、地平線をゆっくりと眺めた記憶はない。そして大学院2年目になっても、私はテーマを決められずにいた。樹木に関する調査をすることだけは決めていたが、具体的な方向性は決まっておらず、「行ってからどうにかなるか」と高をくくり、とりあえず計画だけを立てて渡航した。
具体的なテーマは決まっていないものの、樹木に関する論文を書くことだけは決めていたので、とりあえず毎木調査(調査村周辺に生える個々の樹木の位置と種類、樹高、幹の太さ、枝の本数の調査)をしてみることにした。最初は意味を見出せなかったが、調査が進むうちに村人が樹木の形を呼び分けていることに気が付いた。小さな樹木はラブ、少し大きくなるとマタシといった感じだ。そして徐々に、その呼び分けに砂漠化を防ぐための工夫が隠されていることがわかってきた。そこで、人びとの樹木利用と砂漠化の関係に関する修士論文を書くことを決めた。そうと決まれば徹底的に調査しようと意気込んだが、調査の対象となる樹木は7000本近くあり、滞在期間のほとんどを樹木の調査にあてなければ間に合わないことが明らかになった。
そこからの日々は本当に必死だった。ニジェールの日中の体感気温は50度ほどにもなるので、調査は一番熱い時間を避けて、朝8時から正午までと15時から17時過ぎまでの2回に分けておこなった。夕食を済ませた後は水浴びとその日の調査データのまとめをし、23時過ぎに寝て、朝は5時半に起きて調査の準備をし、朝食を食べて洗濯をして、8時からの調査に備えた。毎日この繰り返し。村の友人4人に手伝ってもらって調査したが、一日に調査できるのは多くても150本程度なので、日に日に焦りが募っていった。
1か月半後、私は村の東側の小高い丘の上で、ようやくすべての樹木を調査し終えた。もう間に合わないと思った時もあったが何とか間に合い、調査した樹木は7253本にのぼった。調査を終えたのは帰国予定日の3日前。これで修士論文が書けるという安堵とともに、疲れがどっと押し寄せて、私はその場に座り込んだ。その時、調査を手伝ってくれていた友人たちが「ほら見て」といって西の空を指さした。彼らの指さす方を見ると、夕日が地平線に沈むところだった。それは、私が小さい頃から憧れていた景色そのものだった。これまで何度もニジェールに足を運んでいたのに、いつも気持ちに余裕がなく、こんなにしっかりと夕日を見たのは初めてだった。
村の西側には見渡す限りどこまでも平らな大地が広がっており、世界最大の砂漠であるサハラ砂漠にまで続いていく。そして、サハラ砂漠を1000km以上北上すれば、スター・ウォーズの撮影地チュニジアがあるではないか!私はついに、恋焦がれた景色に出会ったのだ。正確には、3度目の渡航にしてようやく、恋焦がれた景色がそこにあったことに気がついた。沈みゆく夕日がこんなに鮮やかな橙色に見えたのは初めてだった。私は言葉にならず、隣に座っていた友人たちと夕日が沈むまで地平線を見つめた。
あれから今年で14年になる。ニジェールではイスラーム武装勢力によるテロが多発するようになり、一昨年にはクーデターも起きて、調査村は日本人の渡航が禁じられた地域になってしまった。ニジェールの調査村に行けなくなって久しいが、あの夕日の橙色は、いまでも最も鮮明に思い出されるアフリカの景色になっている。今の私の希望は、ニジェールの友人たちとあの景色をもう一度見ることだ。
調査を終えた後に見た夕日
台地の上から地平線を望む