桐越 仁美
私の調査地のひとつであるガーナ北西部の町ロウラは、ガイドブックによると「木琴で有名な町」と紹介されている。私はロウラの町から2㎞ほど離れた農村で、ホストファミリーの家に住み込んで調査している。比較的涼しい午前中は村内を歩き回って調査をし、午後は暑いので家でゆっくりと過ごす。ある日の午後、ホストファミリーの子どもたちと遊んでいると、ポロンポロンという音色が聞こえてきた。その音色は注意深く耳を済ませば聞こえる程度の大きさで、とても優しく、風に運ばれてきたという表現がぴったりの音色だった。私が「この音はなに?」と聞くと、子どもたちは「ギルだよ!」と教えてくれた。
それから数日後の調査のときに、またあの音色が聞こえてきた。前回よりもはっきりと聞こえるその音色に「子どもたちが教えてくれたギルは、ガイドブックに書いてあった木琴に違いない」と思った私は、調査を中断し、調査助手に「この音がする場所に連れて行ってほしい」とお願いした。連れていかれたのは村の中心の開けた場所だった。そこには、短冊状の木の板と穴があけられたヒョウタンが散乱していた。その横には、いくつかの組み途中の木琴があり、そこにいた男性たちは、木の板にヒョウタンをあてがいながら、板を叩いて音を確認していた。どうやら調律中のようだ。何人かの子どもや若者が男性たちを取り囲み、調律の様子を見たり、板の取り付けを手伝ったりしていた。風にのって聞こえてきたのは、木琴の調律の音だったのだ。調律をしていた男性によると、このあたりの村にはそれぞれ木琴職人がいて、この村では14鍵盤の木琴ギルをつくっているとのことであった。村によって鍵盤数や形状が少しずつ異なっていて、木琴の形状によって名称が変わることも教えてもらった。
木琴を組み立てる木琴職人(右)とそれを手伝う若者(左)
その後に知らされたのは、私のホストファミリーのなかには木琴奏者がいて、ガーナ国内だけでなく、ブルキナファソやマリにまで演奏に行くことがあるということだった。このように国外に演奏に行くような木琴奏者はほかの村も含めて数人いるらしい。そして木琴奏者が奏でる曲は村ごとに違っている。それを確認したのはロウラの祭り「コビナ・フェスティバル」のときだった。コビナ・フェスティバルはガーナ国内でも有名な祭りで、多くの人びとがガーナ国内外から集まってくるのだという。この祭りのひとつの目玉は、村ごとの木琴演奏とダンスの披露だ。木琴と太鼓の奏者が輪の中心で演奏し、村人たちが揃いの衣装を身に着けてその周りで踊る。大きな広場のなかで村ごとに島をつくり、それぞれがパフォーマンスをする。いくつかの村のパフォーマンスを見て回ったが、演奏されている曲や木琴の音色などが村ごとに異なっているのがわかった。
ロウラはダガーレという民族の町だ。ガーナ北西部のアッパーウェスト州はかつてワ王国が興隆した土地だ。ワ王国はワレの人びとの国で、ダガーレとはワ王国に移住した周辺民族を出自にもつ人びと全般を指した呼称だったのだという。今ではダガラ語を話すひとつの民族として認識されているが、ダガーレと一口でいっても、郡ごとに人びとの出自が異なる。ロウラの町を中心としたロウラ郡に暮らす人びとは、ブルキナファソ南東部やコートジボワール北部を民族領域とするロビを出自とする。木琴はロビの文化のなかにも見られるもので、ダガーレのなかでもロウラ郡の人びとだけが木琴を作り演奏する。木琴はコビナ・フェスティバルのような大きな祭りや結婚式、葬式、クリスマスの祝いの席にも登場する。こういった儀礼や祝いの場だけでなく、農作業の休憩時間などの日常的なシーンでも演奏される。日常的に演奏されている木琴は、地面に細長い穴を掘り、その上に鍵盤を並べたものや、鍵盤だけを木の枠に据えつけたような簡易的なものが多い。ロウラ郡のダガーレの人びとにとって、木琴は生活に密接にむすびついた楽器なのだ。
コビナ・フェスティバルで演奏する木琴奏者
木琴奏者と呼ばれる人びとは祭りや儀礼などの正式な場で演奏するのだが、家族や村のなかでクリスマスや新年、収穫を祝うときは、奏者以外の人びとも含めて順番に木琴を演奏していく。10~18歳くらいの子どもや若者たちも積極的に演奏に参加する。そこで大人たちから「まだまだだな」、「もっと強く叩け」、「うまくなったな」というように言葉がかけられる。基本的には同じフレーズを繰り返し演奏するのだが、なかには叩いているうちに混乱してしまう子どもたちもいる。そうなったら交代で、次の機会が回ってくるのを待つしかない。混乱してしまうのは、やはり小さな子どもたちで、18歳くらいになるとフレーズを間違えることなく演奏することができる。私はここと違う場所でも調査しているが、木琴のような比較的複雑な構造の楽器が、専業の奏者に限らずここまで広く演奏されているのを初めて見た。
私は数ヵ月のあいだ村で生活するなかで、演奏はできないけれど、木琴に合わせて踊ることに挑戦するようになった。ホストファミリーの子どもたちは私が踊っている姿を見て、自分の木琴にも合わせてほしいと思ったようで、次の日から「ヒトミ!これからギルを叩くから聞いてね!」といって、私が休憩しているときに、まだ不完全な演奏を聞かせてくれるようになった。そうやってお兄ちゃんお姉ちゃんが木琴を叩いているのを見て、3~5歳くらいの小さな子どもたちも真似て木琴を叩く。日に日に私のロウラでの生活は木琴の音であふれるようになっていった。
兄弟の真似をして木琴を叩く子どもたち
ある日、真夜中から木琴の音色が聞こえ始め、朝まで音が途切れないことがあった。風にのって流れてくる旋律はどこか悲しげで、これまで聞いてきた音色とは雰囲気が違った。朝になってホストファミリーにその木琴の演奏について聞いてみると、隣の家族のおばあさんが昨晩に亡くなり、その弔いで木琴が演奏されていたとのことであった。その数日後、私も葬儀に参加させてもらった。そこでも木琴が演奏されており、熟練の奏者たちが奏でる音色には、祭りの時と同じ奏者が演奏しているとは思えないほどの悲しみが表れていた。亡くなったのが私の知り合いであったこともあるが、あまりにも悲しげな音色に涙が込み上げてきた。そんな私の様子を見たホストファミリーの人たちは「熟練の木琴奏者の奏でるギルには、感情がしっかり表れる」と説明してくれた。
思い返してみると、調律していたときの音は、木琴を大切につくりあげようとする感情が込められていたのか、赤ちゃんに話しかけるように優しく聞こえたし、コビナ・フェスティバルのときの音は、ほかの村には負けられないという感情が込められていて、とても力強く情熱的に聞こえた。子どもや若者の演奏は軽やかで楽しげだったけれど、まだ一生懸命さが感じられた。どの楽器演奏でもそうだけれど、ダガーレの木琴も奏者の経験に応じて表現が豊かになっていく。そして奏者が込めた感情はサバンナに吹く風に運ばれて、村のなかや近隣の村の人たちのあいだで共有される。私は、ロビの地から移住してきてからもずっと、ダガーレの人びとはそうやって木琴と生きてきたのだろうと想像した。
私が村を離れる日、子どもたちが率先して木琴を演奏してくれた。私が家を離れて町に向かって歩いていくときも、子どもたちは交代で木琴を演奏しつづけてくれていた。まだまだ演奏経験の浅い彼らだけど、家から聞こえてくる音色からは「また来てね!」という、どこかウキウキするような気持ちが伝わってきた。いずれ彼らも、木琴の音色に豊かな感情をのせて演奏してくれるようになるだろう。