牛久晴香
友人が出稼ぎに行ったという。彼が村を離れたのは、じつに20年ぶりだ。すぐに電話をかけると、受話器の向こうから、巨大な掃除機が泥川をすするような、ボボボボ……という重たい音が響いてきた。
「俺、今ガラムセーに来てるんだ。アクラに帰る前に寄ってけよ。久しぶりに会いたいし、ナゲットにマシーンに、見せてやりたいものがたくさんある。……ところで、50万ほど工面してくれないか。もちろんカネは返す。マシーンを買いたいんだ。」
「ガラムセー」とは、政府の許可を受けずにおこなわれる金の小規模採掘のことだ。 「Gather them and sell(かき集めて売る)」のなまりからきた言葉で、ガーナでは日常会話のなかでもごく普通に使われている。
ガーナにおける金採掘は、企業が高度な重機を使っておこなう大規模採掘と、個人や小さなグループが人力でおこなう小規模採掘に分けられる。後者のなかにガラムセーが含まれるわけだが、許可を得ているかどうかの区別はむずかしい。すくなくともわたしの周りでは、小規模採掘はすべてガラムセーと呼ばれている。
ガラムセーはガーナ社会のなかでも評価が分かれる存在だ。
環境面からみれば、問題は深刻である。河川の汚染、生態系の破壊、保護区の掘削など、自然環境への影響は大きい。国際社会や研究者のなかには、「ただちに全面禁止にすべきだ」と訴える声もある。実際、ガラムセーがおこなわれている川はペンキで染めたかのように白く濁り、一帯の土地は徹底的に掘りかえされる。そのようすをみて、「問題ない」と言いきれる人はおそらくいないだろう。
一方で、ガラムセーは経済的にも社会的にも大きな意味をもっている。2017年、当時のナナ・アクフォ=アド大統領は「Operation Vanguard」を発足させ、違法採掘者の逮捕や機材の押収、破壊をすすめた。しかし翌2018年には、「一定の成果が得られた」として作戦を中止している。その背景には、90万人にのぼるともいわれる関係者の雇用問題があった。代わりとなる職を示せないまま取り締まりを続けることは、かえって社会不安を招くと判断されたのだろう。
わたしが調査を続けてきたガーナ北部のボルガタンガでも、多くの若者が南部へ出て、ガラムセーに従事している。ブルキナファソ、マリ、ニジェールといったさらに北の地域からやってくる人もいる。
彼らにとって、ガラムセーはごく普通の仕事の選択肢のひとつである。家族や地域社会もそれを認めている。とくに、結婚して家族を養う立場になると、農業や手工業だけでは生活が立ちゆかなくなることもある。村での暮らしを整えるために、今すぐ現金を得る手段として、ガラムセーはきわめて有力な選択肢となる。
ガラムセーにはさまざまな危険がともなう。ある年、わたしが滞在している村の少年3人が、作業中の爆発事故で命を落とした。暗闇での長時間作業は、精神的な不調を引きおこすこともある。採掘した金をちょろまかそうとしてボスに見つかれば、「制裁」が加えられる。さらに、警察の突発的な取り締まりに備えて、常に気を張っていなければならない。不安やつらさをまぎらわすために、酒やドラッグに手をだす者も少なくない。
それでも、多くの男性たちは何度も何度もガラムセーに戻っていく。電話越しに聞く彼らの声には、どこか楽しさのようなものが混じっている。大きめの砂金(ナゲット)が見つかれば、長時間の肉体労働の疲れも吹き飛ぶような興奮を味わえる。そしてなにより、村のしがらみや妻からの小言を一時忘れ、都市的な環境で仲間とともによく働き、よく呑む――そんな時間は、彼らにとって刺激的で、ある意味では「自由」なのだ。
年を重ねた男性たちは、「もうガラムセーには行かない」と語る。「村で暮らしていたほうが、何倍も豊かだと気づいた」と。だが、その「豊かな村の暮らし」の一部は、ガラムセーで働く息子たちの送金によって支えられている。
金からみえるガーナの姿も、いろいろである。