「つながりつづけましょう」:コロナ禍における現地とのやりとりから考える

松浦直毅

夏休みはたいていアフリカの森の中にいる。昼間は太陽がギラギラと照りつけるが、夜になると風がひんやりと心地良く、明け方には寒くなってシーツをかぶるほどで、日本の夏に比べたらずっと快適である。「アフリカの森で暮らすなんて暑くて大変そうですね」と人から聞かれたら、「いえ、避暑にちょうど良いんですよ」と冗談まじりに答えている。だから、久しぶりに日本の夏を過ごす私の体には、今年の酷暑がいっそうこたえる気がする。厳しい暑さだけがこたえているのではない。現地調査に行けないことが、私にとって大きな痛手となっているように感じる。それは、研究活動が停滞するという意味だけではなく、アフリカに通うことがもはや人生の一部となっている私にとって、何かがぽっかりと抜け落ちたような気分になるということでもある。

現地の知り合いたちも、しばらく会えそうにないことにすくなからずさびしさを感じてくれているようだ。コンゴ民主共和国(以下、コンゴ)の田舎町ジョルで住民組織の活動を推進しているママ・ジョゼフィーヌは、なかでもまめに連絡してくれる知り合いのひとりだ。2週間に一度くらい、「何かニュースは?」「どうしてる?」などという短いメールが送られてくる。2週間で大きなできごとや変化などがあるわけもなく、「とくにないよ」とこちらも短く返す。忙しいときやすこし経ってからメールに気づいたときなどは、面倒くさく感じて放置してしまうこともある。コンゴ東部の都市キサンガニの大学に務めるジョンさんも、「ボンジュール」とか「元気?」といったひとことを、メッセンジャーを通じてかなり頻繁に送ってくる。この何か月間をみると妻よりもやりとりが多いほどであるが、短く返すこともあるし、たんなる生存確認みたいなメッセージ交換が不毛に思えてスルーすることも多い。そうしてまた少し経つと、だいたい同じメッセージが送られてくる。

では、そのコンゴのコロナ情勢はどうなっているだろうか。政府や国際機関の情報によると、コンゴでは3月10日に最初の感染者が確認されたあと、国際便の運航制限、州をまたいだ移動の制限、集会の禁止などが矢継ぎばやに発表され、わずか2週間後には非常事態が宣言されて国境が閉鎖された。首都キンシャサの中心地区が約2週間にわたって完全に封鎖されたり、マスク着用が義務化されて違反者が射殺される事件が起こったりするなど、政府の厳格な対応による緊張状態がつづいてきた。緊急事態宣言は8月15日に解除されたが、まだまだ予断を許さない状況である。追いうちをかけるように、6月に入って私たちの活動ともかかわりが深い中部の都市バンダカでエボラ出血熱が発生し、ジワジワと拡大する傾向もみせている。とはいえ、このような公式情報や報道だけでは地方に暮らすふつうの人々の様子はわからない。そうしたときに頼りになるのはやはり、いつでも連絡を取り合える上述の知り合いたちだ。

ママ・ジョゼフィーヌに聞いてみたところ、ジョルでは感染者は出ておらず、学校や教会が閉鎖された以外は人々の生活もそれほど変わっていないとのことだった。興味深いのは、「深い森に囲まれたジョルは、森が空気を浄化してくれるのでコロナはやってこない」と考える人たちがいるということだ。もちろん科学的には正しくないのだが、市井の人々はそうやって彼らなりに事態をとらえ、折り合いをつけて暮らしていくしかないということを示しているともいえる。数年前に近くの都市でエボラが発生したときにも同様の言説が聞かれたことを思い出す。緊急事態宣言の解除にともなって、一部ではあるがマスクや手洗い用のバケツが配られて学校も再開されたそうで、とりあえず深刻な事態には陥っておらず、平穏な日常がつづいているようだ。

写真1. ジョルの風景

ジョンさんは、軽く尋ねてみただけだったのだが、さすがは研究者、A4で6ページ、序章から結論までまとまった2000語以上の詳細なレポートを送ってくれた。すべてはとうてい紹介できないが、要点を抜粋しよう。キサンガニでも3月の緊急事態宣言後に各種施設が閉鎖され、もちろん大学も閉まっているという。5月までは感染者は出ていなかったが、6月にはじめの感染者が報告されてからすこしずつ感染が広がり、8月20日時点で27名の感染者(死亡者6名)が出ている。もともと政治経済的に不安定で脆弱だったところへのコロナ禍によって、経済的な困窮が強まっている人たちもすくなくないようだ。コンゴ河を通じて首都キンシャサまでつながる河川交通と、ウガンダなど東アフリカ諸国まで伸びる陸上交通の要衝であるキサンガニでは、移動の制限によって物流に大きな影響が出ているようで、海外企業に頼っている都市開発事業も滞っているようだ。そうしたなかで、何とか糊口をしのごうとレストランやバーを「闇営業」したり、袖の下を渡して検問をすりぬけて移動したりする人たちもいるという。一方、外出制限によって妊娠する女性が増えているといい、若年女性が妊娠によって学校をドロップアウトするという問題が大きくなっているそうだ。

コロナに対する人々の認識はさまざまであるが、「神からの罰」とか、「悪魔の病気」とみなす人たちがいるというのが興味深い。教会関係者のなかには、信心の足りない者への罰であるからもっと祈りなさいとテレビや街角で呼びかける者や、絶食して祈りを捧げることをすすめる者もいるという。マスク、手洗い、接触の回避など、WHOが進めるような保健対策は、それらに対してなじみが薄いという文化的な理由と、そうした対策にかけるお金の余裕がないという経済的な理由からなかなか浸透しないようだ。また、「コロナは白人の病気、熱帯の暑さに弱い病気だから自分たちはかからない」という発言や、「ほかの病気と同じ。ほかの病気でも死ぬときは死ぬ」という発言からは、コロナ禍が人々にとって相対的に小さな問題であることがうかがえるが、それだけ多くの人が生活もままならないような深刻な経済問題を抱えており、より危険なものもふくめたさまざまな感染症のリスクのもとで生きていることに気づかされる。

写真2. キサンガニの街角

以上、簡単ではあるが、現地からの情報をもとにコンゴのふつうの人々が経験しているコロナ状況を述べてきた。コロナ禍におけるアフリカの、しかもふつうの人々のおかれている状況に対する私たちの関心は、非常に低いといわざるをえない。かくいう私も、正直にいうと、アフリカにかかわる仕事をしているにもかかわらず、いつもアフリカのことを考えているわけではなく、日々の生活に忙殺され、自分のまわりの問題に対処するのに精いっぱいになって、後回しになったりおろそかになったりしてしまうことがすくなくない。定期的に現地に行くのが当たり前になっていた私にとって、現地に行けないことによる一番の痛手は、そうやってアフリカが疎遠になってしまうこと、つながりが切れてしまうことなのかもしれない。現地で知り合いたちからよく聞かれる質問は、「次はいつ来るの?」というものである。社交辞令のようなものだが、彼らのなかに、「つぎにまた会えるかどうかわからない」、「このまま関係が切れてしまうかもしれない」という懸念もあるにちがいない。ママ・ジョゼフィーヌは、メールの最後に決まって「つながりつづけましょう (フランス語でGardons contact)」とつける。定型のあいさつ文ではあるが、実際に連絡が途絶えることに対する危惧もあるように思える。ジョンさんの「生存確認」もつながりを確認しつづけるものであり、内容というよりはやりとりをすること自体に意味があるのだろう。

彼らがつながりつづけることを希求するのには、私とつながっていれば援助を受けられるかもしれないという打算的な動機もないわけではないだろうが、それよりも、彼らにとって人とのつながりが大きな財産であるからという理由がずっと大きいだろう。ジョルでは最近になって携帯電話がつながるようになったが、通信環境はまだまだ不十分で、メールを確認しようとしても全然読み込めず、一晩じゅうつなぎっぱなしにして明け方にようやく見られるというようなこともよくある。ママ・ジョゼフィーヌは、数十km離れたインターネット設備のある国際機関の事務所に通信をしに行くことがあるとも言っていた。キサンガニでは電力不足で停電が頻発しており、ジョンさんも電気が途絶えるなかで相当な苦労をしてレポートを送ってくれた。そしてもちろん、彼らの生活水準では、携帯電話の通信料はかなり大きな負担にもなっているだろう。やりとりを交わすこと、つながりを保つことにはそれだけの価値があるのである。ひるがえって、自分はたやすく通信ができる環境にありながら、つながりを軽視して連絡をさぼりがちであったと反省もする。

コロナ禍のなかで物理的にも心理的にも人との関わり方が大きく変わったという人は多いだろう。その変化は人によってさまざまだろうが、私にとっては人とつながることの意義をあらためて考える契機になった。そしてまた、アフリカに行くのが当たり前であるということがどれほど恵まれたことなのかを知り、そうした環境が周囲の人たちの多くのサポートによって築かれていることも再認識した。現地に行けないことで抜け落ちてしまったものもあるが、そのぶん今まで考えなかったことに思いをめぐらせることができた。ついでに、いつもは渡航してしまう夏休みを子どもたちと過ごすことができて貴重な時間にもなった。依然として先行きは不透明だが、こうした学びを胸に、これからもアフリカとつながりつづけていきたいと思う。