丸山淳子
彼女たちの首を彩るのは、美しく磨きあげられた白いビーズの連なりだ。白いビーズは、深い茶色の木の実や縞々模様のヤマアラシの針と組み合わせられたり、色とりどりのガラスビーズ、ときに、毒々しいまでに鮮やかなプラスチックビーズと並んだりしながら、首飾りとなる。
南部アフリカのセントラル・カラハリ地域に暮らすブッシュマンは、古くからこの地域で狩猟採集を営んできた。食べ物も、衣類も、生活用具も、そのほとんどが、野生の動植物に由来した。そして、この首飾りも。

白いビーズは、ボタンのように平たくて丸い形をしている。真ん中には、一つだけ穴が空いていて、そこに糸を通っている。厚みは、だいたい2、3ミリ。直径は、5ミリ程度のものから、1センチを超すものまでいろいろで、大きさの違うものどうしを組み合わせて、模様を形作ることもある。よく見ると、ひとつずつ、少しずつ形が違っていて、手作りの味わいがある。
このビーズの素材は、白い石ころのようにも、小さな貝殻のようにも、骨のかけらのようにも見えるかもしれない。しかし、そうではない。これは、卵の殻のかけらである。卵といっても、ニワトリやアヒルの卵ではない。鳥類が産む卵としては、世界最大と言われる、ダチョウの卵である。そして、その殻から作られるビーズは、人類がつくった最古のビーズともいわれている。
ブッシュマンにとって、ダチョウの卵は、古くから、とても便利で貴重なものだった。まず、中身が食べられる。ニワトリの卵に比べたら、味は薄ぼんやりしてるけど、量はたっぷりだ。そして、殻は、貴重な水瓶になる。この地域では、雨は雨季の限られたときにしか降らないので、雨水を卵の殻に貯める。たくさんあれば、それを砂の中に埋めておき、乾季に掘り返して使っていたらしい。殻を半分に割って、お皿として使ったこともあったという。
そして、殻が小さく割れてしまったら、そのカケラたちは、ビーズになる。カケラをさらに小さくするために、動物の角で砕いたり、今なら爪切りで切ったりして、直径1センチ程度の大きさに揃える。その真ん中にキリで穴をあけ、糸に通していく。50個ほどを糸に通したら、それを、でこぼこのある板や石、もしあればヤスリの上で転がしながら、まわりを削りおとして、丸い形に整えていく。最初は粗く削っていくが、最後には水を加えながら丁寧に磨き上げる。滑らかに仕上げるには、作り手の太ももの上を転がすのがいちばん良いともいわれる。褐色の太ももが、ビーズから削り落とされた白い粉だらけになっている人をときどき見かけるが、その白は、ハッとするほどきっぱりとしている。出来上がったばかりのビーズも、清らかで潔い白が印象的だ。
こうして、たくさんつくられたビーズは、大きさごとにまとめられ、今度はそれを使って首飾りや腕飾りなどのアクセサリーとして編まれていく。薄茶色の柔らかな皮製品の模様として縫い付けられることもあるし、最近ではNGOの発案でキーホルダーやピアスなど、観光客に向けた工芸品にもなる。高級なものになれば、銀や宝石などと組み合わせられることもあると聞く。白いビーズ、どんなものにもよく合う。そして、それを身につける人、その周りに置かれた色によって、七変化する。
歩き始めたばかりの子どもの腰に巻かれたビーズは、その肌を傷つけないようにと、とりわけ丁寧に磨かれ、優しい白に光る。おばあちゃんの足輪に編み込まれたビーズは、重ねてきた年月を反映し、艶が出て、こっくりとしたクリームのような白になっている。女性たちの首を彩るビーズたちは、隣に並んだビーズの色によって、ずいぶん違って見える。木の実と並べばよくなじんだ落ち着いた白に、水色のガラスビーズと合わされば品の良い都会的な雰囲気の白に、赤いプラスチックビーズの隣ではキッチュで愛らしい白に。出来たばかりのときは真っ白だったビーズも、人から人の手にわたり、使い込まれ、いろいろなものと組み合わせられることで、少しずつ色を変える。

そういえば、ダチョウの卵のビーズは、ブッシュマンによく似ていると、ときどき私は思う。誰よりも長い歴史を持っているのに、最新のものにもあっさりなじんでしまうところ。控えめそうで、なのに驚くほどの存在感を放つところ。一見するとみんな同じように見えても、それぞれがどこまでも個性的で、さらにそれが次々と柔軟に変わっていくところ。私の手元に、いくつもあるダチョウの卵のビーズも、ただの白にはもう見えない。それぞれが、唯一無二の白色を見せ続けてくれている。